God was always invented to explain mystery.
God is always invented to explain those things that you do not understand.
引用:Mathematical Undecidability, Quantum Nonlocality and the Question of the Existence of God
宗教関連の話題がニュースに上がる頻度が増えた。
陰謀論者やトンデモ科学の類も留まるところを知らない。
自然科学を修める身としては、何ともいえないお粗末なエセ科学ばかりなのだが、どうも世間の人は無知ゆえ信心している印象を受ける。
難しいことはよくわからないが、その理屈がある程度の合理性を持って世の中を説明することに成功していると、それがまるで世界の真理であるかのように錯覚するのだろう。
そもそも科学と宗教のルーツは同じである。
それは世界の事象に対して、何らかの意味付けを行う過程で生まれたものだということだ。
類い稀な観察眼で自然現象から法則を見出し、数理言語によって記述することを試みたのが科学、
対して、類い稀な想像力で空想の人物や動物を思うがままに操り、一つの筋の通ったストーリーによって説明を試みたのが宗教だと言える。
科学と宗教、どちらも世の中を説明することにはある程度、成功している。
では科学と宗教の違いは何だろうか?
それは「反証可能性」という概念だ。
科学は万人に開かれている。
なので、誰がやっても同じことを再現できなければいけない。
実験によって、否定されることもままある。
それでもモデルを取っ替え引っ替え、現実を説明しようと試みる。
対して、宗教には反証可能性がない。
神の存在は信じるものであり、存在を疑う事は冒涜とみなされる。
神は実在しないと考えることなど、あってはならないことなのだ。
つまり、これは反証可能性を放棄していることに他ならない。
説明を試みるモデルは一つしかないし、それは古くなるばかりで新しくなる気配もない。
反証可能性のないものは全て宗教であると断じてもあながち間違いではない。
もちろん、信じることで精神衛生が良くなることまでは否定しない。
何かに縋る生き方もまた個人の自由であるからだ。
最初に信じるのが宗教。
最初に疑うのが科学。
常に批判的精神を持って、この世界を生き抜いていきたい。