記憶と思い出

思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ

引用:すべてがFになる

LINEのともだちリストを久しぶりに見返してみると、知らない人の名前がちらほらいる。

トーク履歴はスマホを買い替えたタイミングですべて飛んでしまった。

やり取りから思い出す術はない。

相手が何者か試すチャンスは年に一回、訪れる。

1月1日、元旦のあけおめLINEである。

ここでしれっと何食わぬ顔で送るのがポイントだ。

あけおめスタンプで、相手の反応を窺う。

だが、無難な反応が大半で思い出すには至らない。

「俺のこと覚えてる?」と聞かれても、もちろん覚えてないからやめてほしい。

いつになっても忘れられない人や思い出もある。

付き合ってた子の顔なんてもう忘れてしまったのに。

昔、なんとなく好きだった子の面影をいつまでも覚えていたりする。

思い出になった記憶と劣化してしまった記憶の違いは何だろうか。

それはきっと、ストーリーとして“有機的”に繋がっていたか、時系列で“無機的”に繋がっていたかの違いにある。

記憶が有機的に繋がった思い出には感情が伴う。突然何もないところから感情は生まれない。

昔の記憶がだんだん薄れていく。

今日という日も「すべてがFになる」日は近いかもしれない。

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この記事を書いた人

アオミネのアバター アオミネ 趣味ブロガー

趣味で複数サイト運営中。
自由気ままにエッセイも書いてます。

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