歌詞が先か、メロディーが先か
これと似たような現象はエッセイにもある。
エピソードが先か、フレーズが先か、はたまた画像が先か。
誰だって分別がつく年頃になれば、自分の信念、主義主張は存在する。
思想を言語化しておきたくなるのは、人間の性だろう。
文章に昇華して不特定多数の人に投げてみる。
自分の書いた文章を誰かに読んでもらえる。
ましてや感想が貰えるというのは、かなり恵まれた環境だ。
あるフレーズをドヤ顔で書きたいがために書き始める文章もある。
このエッセイは残念ながらこれだ。
冒頭の三文が脳裏に浮かんだがために、尺を稼ごうと引き伸ばす。
そうやって生まれたのが、今あなたが読んでくれている駄文である。
フリー画像を眺めていると、思いがけず良い出会いがあることもある。
自身の脳内に存在しない記憶が再生されたとき、新しいエッセイが生まれる。
意外とロマンチストなのかもしれない。