ヨビノリが炎上している。どちらかというと放火された側。
ことの発端はおそらくこのツイート。
現在進行形で、大学教育の在り方について激論が交わされている。
結論から言うと、僕の意見は堀田昌寛さん(@hottaqu)の意見に最も近い。
そもそもTwitterは議論をするのに向かない。
開かれたプラットフォーム上であるため、境界知能の人間も議論に参入したり、お気持ち表明できてしまう。
これに加えて、前提条件を擦り合わせないまま、デッドヒートに突入するのがTwitter上での議論のモデルだ。
何よりも今回の場合、もっと遺憾なことがある。
大学教員であるにも関わらず、一次資料(インタビュー記事)を確認もせず批判していると見られるものが多数確認されたことだ。
ツイートによって文脈の中から抜粋された文言を見て、本人の意図したところとは違う内容を読み取り、批判してしまっているのは少々いただけない。
もしかしたら前々から、ヨビノリに思うところがあったのかもしれない。
炎上に対する反応はその人の本性を顕現させる。
基礎内容の分業化に反対する勢力として、考えられるのは、
- 人員削減への恐れ
- 教育内容の改悪
①の意見はよく分かる。よく分かるが論点のすり替えはやめてほしい。
②に関しては、恐らく自分が恵まれた環境で学んできた自覚がないのだろう。
授業に対するモチベーションが低い先生は残念ながら、ままいるのが現状だ。
しかも、これは大学における授業に限った話ではない。
地方の小中高の授業のレベルの低さを知っているだろうか。
指導要領に縛られた本質的ではない教え方・理解のフォーマットを強要され、受け入れない者は弾き出される。
小中高とレベルの低い授業に絶望し、予備校での出会いに救われた実体験を鑑みれば、教育機会の民主化はあるべき姿であるとすら思う。
定番の教科書があるのなら、定番の授業動画があってもいいではないか。
「大学の授業が分かりにくい」という想いに応えて生まれた予備校スタイルの授業がヨビノリであることは忘れてはならない。