多様性という言葉があまりにも、ありふれたものになった現代。
マイノリティの中のマジョリティに寄り添う、その言葉に違和感を感じるようになったのは、朝井リョウさんの「正欲」を読んだことがきっかけだ。
特殊性癖を持つ様々な境遇の人間を通して、現代社会の「生きづらさ」が克明に描かれた本作品。
「性欲」と「正しい欲」のダブルミーニングであるタイトルは、読者へ問いかける。
正しさとは。正しい欲とは。多様性とは。
読み終わったあと、誰もが答えのない問いと向き合い、そして繋がりを求めるだろう。
この世界でこれからも生き延びるために。
正欲:あらすじ・内容紹介
『正欲』は、私の本の中で“生きる”ということにいちばん前向きな本になったと感じています。本当に小説って計画通りにいかないんです。ただ、『正欲』を書きながら、この数年で明確化してきた、“生と死のうち生を選ぶとして、その理由になり得るものとは”というテーマに少し向き合うことができた気がしていて、それはよかったなと感じています
引用:朝井リョウ、作家生活10周年記念作 タイトル「正欲」に込めた意味
「正欲」というタイトルの意味
〈正欲〉という題名は執筆前から決まっていました。欲はすごく個人的なことで、正はすごくパブリックなイメージの文字。そのアンバランスさが居心地の悪さを醸し出してくれるかなと。性欲はずっと書きたいテーマだったのですが、それをテーマに据えたとして説得力が出る自分なのかと、ずっと躊躇していました
引用:朝井リョウ、作家生活10周年記念作 タイトル「正欲」に込めた意味
「正欲」で描きたかったもの
好きな顔のタイプとかはよく聞く話ですが、他のパーツ、たとえば膝とかの好みってなかなか聞かない。同じ体でも人を興奮させる部位とそうでない部位があるということがずっと不思議でした。『正欲』には、そういうレベルのものを筆頭に、ずっと頭の中に流れていたさまざまな回路が集合しています。
引用:朝井リョウ、作家生活10周年記念作 タイトル「正欲」に込めた意味
長い髪を束ねるときのうなじが見える仕草に色気を感じる。
分かる分かる!っていう人と気持ち悪いと感じる人。
これもまた多様性だ。
「正欲」の表紙にこめられた意味
メインテーマである“欲”を彷彿とさせるので、人間を含めた動物を表紙にしたかったんです。写真家の友人に相談したら、菱沼勇夫さんの作品を教えてもらいまして、内容にとても惹かれました。鑑賞者を集中させる力がすごいんです。菱沼さんの作品からは、私たちにはきっと理解ができないレベルの、被写体への執着のようなものを感じます。鴨の写真を表紙に選んだ理由は幾つもありますが、せっかく読者の方が考察してくださっているので、変に限定せずにおこうかなと思います
引用:朝井リョウ、作家生活10周年記念作 タイトル「正欲」に込めた意味
僕はこの表紙を水に自ら身を投げて飛び込んてゆく様子と捉えた。
空を飛べる翼があるのに、なぜ飛ぶことを捨てたのか。
今回の作品の内面ではなく、客観視した事実を見事に表現できていると感じた。
正欲:感想・考察
正しさとは?正しい欲とは?
みんな本当は、気づいているのではないだろうか。
自分はまともである、正解であると思える唯一の拠り所が”多数派でいる”ということの矛盾に。
引用:「正欲」P.324
「正しさ」とは絶対的な概念ではない。立場の数だけ正義があり、正しさは相対的に決まる。
そして、常に多数派を選び続けることは不可能だ。
完全に平均化された人間など、存在し得ないのだから。
したがって、「正しい欲望」とは何か、という問いには答えなど存在しない。
- 今にも壊れそうな普通の関係と歪ながらも強固な関係の対比
- 無敵の人と化した、同じ特殊性癖を持つ前科者
- 歩み寄りに失敗し、明後日の方向に向かう皮肉
答えのない問いだからこそ、あのような結末になったのだと僕は理解している。
多様性についての再考
多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。
自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。
清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる”自分と違う”にしか向けられていない言葉です。
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。
引用:「正欲」P.6
多様性とは本来、マイノリティに理解を示す言葉ではない。
対等な立場で互いの存在を認めあう言葉のはずだ。
しかし、世で使われている多様性という言葉の多くは、その内包するものの意味を丸め、解像度を落とすことで理解できるギリギリのレベルにまで次元を落としたものにすぎない。
ただ、あるがままに認める。
受け入れるのでもなく、理解するのでもなく、存在することを認める。
これが多様性の本来あるべき姿なのではないだろうか。
繋がりが果たす役割とは?
誰にも怪しまれず矛盾なく死ぬためだけに生きることに、本当はずっと前から耐えられない思いだった。友達が欲しかった。さみしいと言える人が欲しかった。人生に季節が欲しかった。
引用:「正欲」P.313
ただ側にいて、話を聞いてくれるだけで、どれほど心が救われるだろうか。
本作で「繋がり」がキーワードであることは、学祭のダイバーシティフェスのテーマであることからも明示されている。
この物語で登場する「繋がり」は3つ。
- 親子の繋がり
- 夫婦の繋がり
- 友人の繋がり
分かり合えない親子、互いの存在を拠り所に生きる夫婦、他者と距離を置く男とそれに思いを寄せる女。
人間はみんな、本当の意味で分かりあうことなどできない。結局、全て他人なのだから。
だからこそ、人は生きるために「繋がり」を求めるのだろう。
一人で抱えていたものを背負ってもらうために。
自分と世界を繋ぎ留めてもらうために。
抑止力としての「繋がり」
社会的な繋がりとは、つまり抑止力であると。法律で定められた一線を越えてしまいそうになる人間を、何らかの形でその線内に留めてくれる力になり得ると。
引用:「正欲」P.125
ここでは「繋がり」は鎖のようなイメージで語られている。
社会的な繋がりが失われ、鎖から解き放たれた「無敵の人」は法律で定められた一線を易々と超えてしまう。
そうならないための抑止力として、引用箇所では繋がりが言及される。
生きていくための「繋がり」
「この世界で生きていくために、手を組みませんか。」
引用:「正欲」P.232
自分と世界を繋ぎ止めていたものが失われ、一度は自殺を考えた二人が交わした約束。
それは、この世界を生き抜くための命綱だった。
明日もきっと、未来から見た”あのとき”になる。明日増える繋がりはきっとまた、自分をこの世界に留めてくれる綱の一部になる
引用:「正欲」P.331
特に印象的なのが、逮捕後の二人の取調べでの供述だ。
どんな質問に対しても理解されることを諦め、心を閉ざしていた佐々木の「いなくならないから、って伝えてください」という発言。
夏月も取り調べで「いなくならないからって伝えてください」という言伝を頼む。
そこには、互いに相手を思いやる二人の今の関係性が窺い知れる。
もちろん、二人の関係を媒介するのは「正欲」ではない。
今にも壊れそうな普通の関係と、歪ながらも強固な関係の対比。
それは何が正しくて何が間違っているのか、その境界を次第に、曖昧に溶かしていく。
お互いの存在を拠り所として、この世界をこれからも生きていこうという姿をみて、これを愛と呼ばずして、一体なんと呼べばいいのだろうか。
読みながら、そんなことを考えていた。
正欲:心に残る言葉
多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。
引用:「正欲」P.188
「あってはならない感情なんて、この世にないんだから。」
それはつまり、いてはいけない人なんて、この世にいないということだ。
引用:「正欲」P.346
\ 今回紹介した本/
「正欲」文庫版が5月29日に発売決定!